2007年8月18日土曜日
煙樹ヶ浜は、西川河口(浜ノ瀬)から和田・本の脇に至る幅500メートル、長さ5キロメートルに及ぶ大松原をなしている。
この大松原は、いつ頃形成されたかは不明であるが、江戸時代には紀州藩が御留山として、保護したと古文書にはある。しかし、藩の都合で、松木伐採が行われることもあった。周辺の農民は、その都度反対運動を起こし、松林の保護育成に努力した。その結果、この美林を後世に残すことができた。
この浜は、地元では「日高浜」と呼ばれてきたが、大正14年に近藤浩一路画伯が、この日高浜の松林を描き「煙樹ヶ浜」と題したことからこの名が生まれた。と記されている。遊泳禁止のため、この時期でもほとんど全く人影がない。
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